今日は神宮球場で東京ヤクルトスワローズの宮本慎也選手の引退試合があった。

私は直接応援したいな~と思ったから急遽神宮球場へダッシュで向かい九回ぐらいについた。

そして、金城成美さんはテレビで見たいと思ったようでいつも20分くらいかかる道をダッシュで帰り10回くらいについたそうだ。

そこまでする意味あるのか?とかなんで?家で録画してゆっくりみりゃいいじゃん。とか思う人いるだろうけど、それって一生懸命応援ではない。

好きなら一瞬かもしれないけど、そのために出来る限りの努力をする。それが一生懸命な応援でしょ。

別に否定する気はないけど、一生懸命な応援と応援を同じものだみたいなこと書いてあるとイラってくるね。

別にそれをすることはいいと思うけど、あなたと私全然違うからと思う。

一緒にしたい人の中には楽したいからそういうのかもしれない人がいるけど、楽しても別にいいですよ。
何も思わないから。

ただひとつだけお願いしたいのは同じと思わないで違うんだからってこと。

今度はこう書くとガチ恋wとかいう人が出るけどそんな感覚でくくられるのもイヤだね。

ガチ恋じゃねえよ。別に一生懸命応援したいからしてるだけだよ。

ま、そういうこと書く人は一生懸命応援することを理解できない人って思ってるからいいけどね。


そして別に応援スタイルは人それぞれだからそれをとやかくいうつもりはない。

いい格好しいで自分が応援してきたの守るためにきてるのはイラつくしどうかな?って思うけど。

応援するって気持ちさえきちんとあれば俺はそれでいいと思う。



あともうひとつ楽しいとこがいいって人がいるけど、最初は楽しいとこなんてないと思う。

楽しいとこってのをつくっていくんだと思う。

もっと言えばその人の行動により楽しさや思いいれをつくっていくのだと思う。

楽しいなんて漠然としたもの人によって違うんだから、これもひとくくりにするのどうかと思うけど。

今日、俺は宮本選手の現役最後の打席泣いてしまったけど、引退セレモニーはぐっとはきたけど泣かなかった。

でも、涙が止まらない人とか号泣してる人も結構いた。

ここで例をあげる。
私の友人の大学生は、物心つく前から神宮通ってて、自分が一歳の時に入団した宮本選手にはかなりの想いいれがある。だから、涙を止めようと思っても止められなかった。

もう一つかなり年配の方だが、1995年の日本一など宮本選手が入団してからの三度の日本一すべて神宮球場で瞬間をみた人は、日本一のことに触れると「全部ここで見たよ~」と号泣してた。


このように思いいれとか楽しさってそれぞれがつくっていくんだと思う。

正直、私にはわかりませんでした。
ただね。大学生の友人の話聞きながら、私にとっての彼の宮本選手は、古田敦也さんだとおもったらなんとなく気持ち理解できた。

金城成美さんももしかしたら彼と同じような感情いやそれ以上の感情も想いの一部にあるかもしれない。だって宮本選手は彼女が生まれた年に入団した選手だから。

でも、私は宮本選手が入団した時の記憶がなんとなくある。
人は違うからね。私にとって宮本選手は強いヤクルトをより強くしてそのイズムを後輩に伝えた選手なんです。


話がそれました。一生懸命応援することってそういうものをつくって言ってのことなんです。


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