もうどれくらい長く使っていたか忘れてしまったけれども
おそらく10年ほど持ち続け使っていた傘がいなくなった。
今年に入り少し破損しまっていたが、修理してまた使うつもりでいた。
でも、あの傘はいなくなった。
どこかに忘れたのか。
それとも壊れているという潜在意識があり、おざなりにしてしまったのだろう。
同じ傘をずっと近い続けている。
同じモノをずっと使い続けている。
それは自尊心を生むのか、自尊心を生むのか、そんな話では無くて、
ただ、同じものをずっと使い続けていただけに残念でならない。
実は、この傘を無くした話は半年ほど前の事で、その後、新しい傘を買った。
また、長く使うつもりであったので、少し奮発して6000円ほどの傘を買った。
でも、その傘までもがどこに行ったのか分からないのだ。
なんともお恥ずかしい話ではあるけれども同じものを使うという事が
それが、モノを大事にしているという感覚を自分自身が保ているという象徴であるとも思うのです。
過剰な表現かもしれないけれども、良いものを長く使いたい。
それが、モノを大事にしている。
モノを大事にしている自分は倹約しているとか何か変わらないものを持ち続けているとか、そんな感情の何かを心に潜ませているという何か自信に近い感性に、私は繋がるのではと思っているのだろう。
こんな事をブログの記事として書いていると思い出した。
あと長く使っているものが残っているではないか。
30年ほど大事に使っているハサミ。
もう7、8年は経っていると思うけれども、ずっと同じシリーズの靴を履き続けている。
なるほど、どれくらい長く使っていたか忘れてしまったけれども、あの雨傘はいなくなった。
この感覚は、ずっと通い続けていたお店が無くなるのと同じ感情だ。
また、新しい雨傘を買わなくては・・・。
シックスセンス管理人