えー実は、安くんの舞台『マニアック』、見に行けたんですよ・・・。
それはですね、、チケットが1枚余ってて同行者を探してる方がいると
亮担の神Hさんの取次ぎで御紹介頂いた大阪のSさんのお陰なんです。
で観劇当日Sさんとお話してる時に
ミチ : GWに関西に行くんです~!今度の旅は聖徳太子の陵に行きたいんですよ!
今まで行きたかったけど中々行けなくて・・・
Sさん : 私も暫く行ってないなぁ~。車出すよ!案内する!
ミチ : は?え?ホントですか?今日初めてお会いしたのに・・・甘えますよ???
Sさん : 全然!全然!!!私が行きたいから!!!
ミチ : じゃ・・・じゃあお言葉に甘えて・・・宜しくお願いします~~~!
ということでやってまいりました約束の4/28。
最寄り駅までわざわざお越し下さったSさん。
移動する事約1時間。
到着しました
京都駅の大階段を思い出します・・・。
はい、こちらは建築家安藤忠雄氏設計の
『近つ飛鳥博物館』 →★
という施設です。全体像は・・・
こんな感じ。
博物館の使命の所に
“近つ飛鳥博物館は、古墳時代~飛鳥時代をテーマとし、古墳文化の中心の一つである
大阪、なかでも特に渡来文化の存在を物語る物証の集中する近つ飛鳥の地域を選び、
展示や活動を行ってきました。”とあります。
な~んてコピペしてますけど、私の目的は聖徳太子陵の玄室内部の複製を見ること!!!
私が何故そこまで聖徳太子(以下厩戸皇子)推しなのかといいますと・・・
『日出処の天子』 著 山岸涼子 →★(NAVERまとめ)
という漫画に学生時にだだハマりしたからなんです。
フィクションなんですけど、史実に則った内容だったので非常に面白く何度も何度も
読みました。この旅行の前も読み返しました!字が多くて目が疲れたけど!!
吹き抜けが気持ちのいい とても広い館内で、出土品の本物や複製、
↑水鳥の埴輪 カワイイ(でもデカイ)
↑天平時代の市役所の書類(納税関係のだったかな・・・)
↑飛鳥時代の服装
模型や土器のパズル等々、小さいお子さんや私のような変態まで楽しめる施設だと
思いました。写真OKなんですけど、本物の出土品、副葬品は写真を撮ることが
出来ませんでした。
で、入口入って直ぐに厩戸皇子の玄室(墓)の模型がありました。
玄室入口↓
↓直進
右 厩戸皇子 (皇子の棺の方が大きい) →★
左 膳部菩岐々美郎女(かしわで の ほききみのいらつめ) 第三夫人 →★
(厩戸皇子の亡くなる前日に亡くなったと言われる)
↓横から見たところ
左(入口から見て一番奥) 棺の無い所
穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ) →★
厩戸皇子の生母。皇子の亡くなる3か月前に没する。
厩戸皇子の子孫は皇位継承の争いで暗殺や自害して滅亡したという伝承が
あるんですけどそもそも実在したのかという議論も未だ根強いです。
そんなことも想像したり思いを馳せながらじっくり眺めました。
博物館を後にして・・・
推古天皇陵(額田部皇女(ぬかたべのひめみこ) →★
立派な御陵です。
入口に3台くらいは停められる駐車場があります。
厩戸皇子が摂政として補佐した女性天皇です。
竹田皇子(実子)との合葬です。戦で負傷し、亡くなってしまい半狂乱状態の
額田部皇女を思い出して(うぅっ、一緒のお墓で良かったねぇ~)と感慨深いです・・・。
・・・え?あ、漫画の話なんですけどね・・・ハハハ・・・。実際の死因は不明です。
そして移動・・・
叡福寺 →★
聖徳太子を祀られているお寺です。
いよいよ・・・!
キター!!!
厩戸皇子の御廟です。綺麗に掃除が行き届いています。
もうね、立派すぎ!他のこの付近の天皇陵と扱いが全然違ってスゴイ。
この町の名前が太子町だし、太子信仰の総本山ですからね。圧倒されました。
3名の合葬の伝承は明治時代に調査され、石棺が3つあったことで真実味を帯びました。
これね。
円墳の周りに石碑(?)檀家さんが奉納したものがぐるっと取り囲んで
直ぐに一周したんでしょう。二重になっていました。↓
後ろ髪を引かれつつ次へ移動・・・
・・・・・・え?どこ?地図はこの辺なのに見つからない!
は?まさかこの道行くの???
とギャイギャイ騒ぎながらほっそ~~~い道を進んで見つけました。
綺麗に整えられた地味にゆるい坂を登る
敏達天皇陵 →★
推古天皇の旦那さんです。
ただあんまり有名でない天皇だからなのか、中のお掃除が行き届いていなくて
ちょっと切なくなりましたよ・・・。(漫画でも影薄かったもんね~)
ここからまた少し移動して・・・
は。ここもどこから入るの?今までは駐車場があったのに・・・え?ここ?
停められるはずの所に車止めのチェーンが掛かってて入れない・・・。
ゴメンナサイ、ほんの少し路駐させてください・・・と停めてさっさとお参りをした
用明天皇陵 →★
厩戸皇子の御父上です。病弱なため在位は短かったんです。
ここは目の前に新興住宅地が広がっていて、人の生活の直ぐ側に歴史を感じられる
面白い街だなと思いました。だって太子町の御陵はお堀とかもないしホント直ぐ目の前。
とにかく近かったです。
ここからまた移動する事5分位?
令和を迎えるにあたり行きたかった天皇陵・・・
整えられた石段を登って
孝徳天皇陵 →★
綺麗な紋様
ここは真正面が垂直な壁で横向きにしか見られない御陵でした。
何故来たかったのかと言うと・・・
日本初の元号を制定した天皇だからです。
(これまでは○○天皇〇年表記)
それと、大化の改新により現在の「日本」という国号と
「天皇」という称号を初めて使用したという御方です。
(それまでは大王(おおきみ)でした。) →★
なので、譲位と改元が間もなくです。
令和の世も平和でありますように見守って下さいませ・・・ナームー
とお祈りしたかったんです。
で、ここまで数々の天皇陵の写真を貼り付けてきましたが・・・
何故私はアップの写真ばかり撮ってしまったんだろう!と反省しきりでございます。
ぜ~んぶ同じ御陵にしか見えません。あぁ・・・失敗。
もっと引きのも撮れば、全体の大きさや雰囲気がわかったのに。うぅ・・・ゴメンナサイ・・・
太子町のプレート可愛い(突然)。
で、私がSさんに『當麻寺』にも行きたい!ワガママを言いまして
連れて行って頂きました!!!参拝前に山門前のお蕎麦屋で腹ごしらえ
ミチ : 5/1に飛鳥の万葉文化館行こうと思ってるんですけど、雨予想なんですよね~。
雨だと自転車でもきついですもんね~~。
Sさん : 飛鳥・・・ここから30分位やね。
ミチ : へ~そうなんですか~~(お蕎麦まだかな~~~~~~~~)
Sさん : 30分やで???
ミチ : ・・・え。は?ま・・・まさか・・・連れて行って頂けるということですか???
Sさん : えーよ。近いもん。
ミチ : (感涙)うぅっありがとうございます!じゃあパパっとお寺周りましょう!
・・・お蕎麦の写真ありません。
だって、店員さんが3.4分経つと伸びますので~(早く食えやっ!(圧))
ってプレッシャー掛けるから・・・撮る間もなくお腹へ消えていきました。
當麻寺 →★
池に映る三重塔
まぁ~花がキレイで良い香りに包まれていい気分でした。
そこここで『ぼたんまつり』の看板が出ていて何でだろうと始めは分からなかったんですけど
當麻寺の敷地内に小さなそれぞれ独立した院があって院ごとにぼたんやシャクナゲなどを
育てているみたいなんですよ。だから入るごとに拝観料が必要です。
途中ボランティアなのかお寺の人なのかおばちゃんがくっついてガイドをしてくれて
薬師寺と同じ伽藍だとか、今は東西への参拝順路だけど創建当時は南北だったとか、
色々教えてくれました。創建当時の三重塔が東西に残っているのはこの當麻寺だけ
で大変貴重です。
ほぼ見えない・・・頑張って撮りたかったんだけど両端に見切れてます・・・
そんな三重塔。国宝なんです。東塔は修繕中。西塔も折角だから近くまで行ってみたら・・・
中々な荒れ具合でした。ちょっと切なかったです。
當麻寺を後にして飛鳥へ向かう途中に
なんのこっちゃ?ですよね。この奥の森・・・実は
天香久山(あまのかぐやま)です。 表記は色々あります。天香具山 天香久山 等々
「春過ぎて 夏来たるらし 白たへの 衣干したり 天香具山」 持統天皇
で有名です。
Sさん : 山とも何とも言い難い“山”なんだけど・・・
ミチ : ・・・丘・・・じゃなくて?山の高さじゃないっすね。
だってあの木が無いと考えるともっと低いはずですよね。
Sさん : だから気軽に洗濯して干せるくらいの所やねんwww
ミチ : あああああ!なるほど!!!確かにこの高さなら往復楽そうですね!!!
(って色んなサイト探してたら天香久山神社なる社があるみたい! →★ メチャオモロイコレ・・・
今回はリサーチ不足というのもあって参拝できませんでしたが・・・。
次回はぜひ参拝したい!!!Sさん!連れてって!!!)
なんて話をしている内に到着しました!
奈良県立万葉文化館 →★
・・・入口撮り忘れました・・・。
せんとくん着衣バージョン。
特別展の日本画以外(通常展)が無料です!
入って早々、本館手前の渡り廊下でボランティアさんに捕まる。
↑渡り廊下から見える遺稿
この遺稿は、この文化館を建てるにあたり発掘したら出てきたもので、
『富本銭』という日本最古の貨幣鋳造所だそうです。でも貨幣だけでなく、ガラスや
装飾品の鋳造も行われていて、汚染水の浄化槽までちゃんと整備してあったそうです。
そんな説明を受けいざ館内へ!
令和関係のものが特別展示されているかと思いきやそうでもなく、
梅(当時は花といえば桜より梅でした)を歌ったものをまとめた紙が沢山あったり、
江戸時代の万葉集が展示されていたり・・・って感じでした。
一番令和を感じたのは
これだったね。
お面かぶって踊ったり~
お金作ったり~
お役人仕事中~~
と色んな場面で歌は作られるよ~という展示でした。
柿本人麻呂の人形がうねうね動きながら歌の世界を表現した劇場(?)みたいなのも
あったし(中々シュールでした)、万葉人はこんな音を聴いていたんじゃないかと再現した
リラクゼーションルームみたいなのもあったし(途中寝ちゃう)、当時の発音と現代の発音で
どのように違うか聴けるものがあったり(なぜかラップ調やフォークソング風も有)、采女
(召使的な女性の人形)とクイズしたりと、なんだかんだでしっかり楽しんでしまいました。
閉館間際に会館を出て、せっかくここまで来たんだからとSさんお気に入りの
天武・持統天皇陵
ここは八角形の陵で周りをぐるっと歩く事ができます。
陵の裏のてっぺんの稜線わかります?
私の行きたかった所全て行き尽くしたのでそろそろ帰りますかとその道すがら・・・
甘樫丘(あまかしのおか)
ここは蘇我馬子、蝦夷の邸宅があった所です。
車窓から撮ったからなにが何やらですいません。
で、信号で停まって標識を見た私・・・
ミチ : 左に行くと法隆寺なんですね~(直進中)
Sさん : そうだよ~ ウインカーカッチカッチ(左折ギュイ~ン)
ミチ : え?ちょ。そういう意味で言ったわけじゃ!
Sさん : いーよいーよここまで来たら寄って行こう!頼むから日ぃ落ちないでぇ~!
(ほぼ真っ暗なの)
まさか最後の最後で法隆寺にまで寄って頂けるなんて!アリガタヤアリガタヤ!!! →★
入場時間はとっくに過ぎていたので南大門の前から手を合わせました。
そして、最寄り駅まで送って頂いて4/28の行程は全て終了しました!
Sさん!何から何まで甘えまくってすみませんでした!とても楽しかったです!
本当に有難うございました!次回も宜しくお願いします!!!←
この自己満な長々とした記事、皆様にもお付き合い頂きまして誠に有難うございました。
まだ旅は続きます。宜しければ次の記事も見てやってください!