お久しぶりの更新です。

 

私も含めアメンバーの皆さんはもうずっとブログから離れているのできっと偶然訪問した方が目にするくらいだと思います。

知っている誰かに報告したいわけではなくただ書きたいだけなので徒然と書いてみたいと思います。

 

ちょっと前に、火垂るの墓が放送になっていましたね。

高畑勲監督が亡くなってすぐ追悼的な感じで。

 

これを見ると悲しい気持ちになるのでもう何年も観ていませんでした。

でも、放送自体も結構久しぶりかな?

 

大人になって観ると、感情移入できる部分が変わって感想も違うものになりますね。

人って面白い。

 

居候先のおばさんはもちろん、まあまあいけずな人だと思うけど、お兄ちゃんも保護者としてもっとしっかり判断出来ていたら違っただろうなぁとか、

でもまだ14歳の子には難しいのかなぁとか・・

 

清太が節子を思って母の死を隠していたのに、実はおばさんにバラされていて、節子はそれを兄には言わずに自分の中で頑張って消化していたのがわかるシーン。

「だってお母ちゃん死んだんやろ?おばさんに聞いたで」的なセリフで清太が全てを悟って涙するシーンが切なかったです。

ああ、だからあんなに夜泣きしていたんだ。(その夜泣きも居候先のおばさんのイヤミの種になるし)

 

あと、結末、原作では清太も亡くなるけど、先日の放送ではなんだかどうにでも受け取れる結末になってましたね。

辛すぎて放送禁止になったんだろうか。

 

舞台が今住んでいるところの近くだというのは聞いていたけれど、実際今回観て

「ここ、あの場所!」

「あの道通ってる!このまま進むと、海に出るあの道!」

とよくわかるのが驚きでした。

 

裏話的な話で、あれは半分実話で、

節子は4歳ではなく1歳半。

兄はあんなに優しく献身的にはなれず、夜泣きには頭小突いたりしたし自分の空腹には耐えられず妹の分も食べてしまったりしていた。

だから餓死させた。

という悲しい事実もわかりました。。

今、似た年頃で丸々と肥えまくっている我が子をぎゅーっとしてしまいました。。

 

うちの子供たち7歳5歳も観てました。

なにか、心に残ったらいいのだけど。

 

✩✩

 

祖母の話。

GWに、祖母(97)に会いました。

ここ数年は救急車騒動もあったり弱っている様子でしたが、思ったより元気で。

 

自分で採ってきた山菜(蕗)を炊いたりしてました。

蕗も、場所によってはエグかったりするとかで秘密の場所から採ってきてるんだって。

欲張って全部摘むと、翌年からはもう採れなくなる。だから半分だけ採ってくる。

その場所は娘である伯母にも言ってないらしい。

どこ行くん?と聞いても、あっちの方。としか言わない。

 

でも、実は祖母の姪である方を連れて行ってたらしい。

その方は、祖母の姉の娘。

祖母は兄弟姉妹(正確に言うと末っ子なので兄と姉)がたっくさんいるので、何番目の姉なのかは聞きそびれたんだけど。

姪(A子おばさん)は姉の末娘らしい。

 

それが祖母の長女(5年前、65歳で亡くなっている)と同い年でなにかと比べられた。とA子おばさんが言っていました。

 

出来る方(私の伯母)と出来ない方(A子おばさん)て言われたのよ~とww

 

祖母はA子おばさんの母親である姉とは仲が良かったようで、嫁ぎ先にもよく遊びに行っていたんだとか。

その嫁ぎ先は由緒ある家で出石の方の藩主の傍系なんだとか。(直系は滅びてしまってるとか)

 

そして祖母の姉は、そこの主人の後妻!として嫁いだ。

嫁ぎ先には先妻の子供たちもいたし、大所帯。

そんな中に祖母が紛れ込んでも全然違和感なかったらしい。ww

そして、姉のご主人はもうおじいさんのような年頃だった。とも。そらそうだろうね。

 

その家にはお手伝いさんがいっぱいいて、子供ひとりひとりに専属のお手伝いさんがついていたらしい。

A子おばさんはそんな家で正真正銘の末娘として蝶よ花よと育てられて、

食事で出る魚なんかも全て小骨が取り除かれた状態で出されていたらしい。羨ましい。笑

だから自分ではなんも出来ない状態に育っちゃった、という自虐ネタも聞いたような。

でも、教員として定年まで立派に働いていました。A子おばさん。

 

話し方も上品で、私の祖母の口調がおっさんのようなのを聞いて

(私や母や伯母に向かってオメエと言うし一人称はワシ)

 

「私はA子さん。と言われて育ったわ」と仰ってましたww

同じ姉妹でも嫁ぎ先で全然ちがう~

 

祖母は姉の義理の娘である先妻の娘と意気投合して、よく遊んだらしい。2歳違い。

一緒にその子のイトコが働いている神戸まで出かけた時に空襲にあった。という話も聞かせてくれた。

すぐそばをB29が飛んでいた。

自分たちは知らない土地で逃げ遅れなんとか防空壕を探し走っていたけれど、爆弾を積んでいる飛行機はたった二人を狙うより人の多いところを探しに行って通り過ぎたんだと思う。

 

というような事を言っていた。

 

たまに、戦争の話を聞かせてくれるけれど、これは初耳。

過去には

 

・京都の方で、通夜のために光を灯していた家が爆撃の標的になって犠牲になった

(夜は人がいるのがわからないように光を消したり遮光するのが鉄則)

・自分は兵隊たちのお弁当を作ったりしていた

 

ということを話してくれたことが。

 

その2歳違いの姉の義理の娘さん、その後どうなったの?と聞いたところ

 

「まだ生きてる。」(99歳!?)

 

 

と言われたのでした。

激動の時代を生きてきた人は強い。