先週の話ですが、祖母が先日亡くなり通夜葬儀のため北海道に帰ってました。

86歳でした。

記録のため綴りたいと思います。


4月9日土曜日

20時10分 父からメール。

「ばあちゃん 午後6時頃死す。移動車中9時過ぎ電話します」

祖母は・・・10年以上前に認知症を患い、ここ4年ほどは施設にいました。

この数年私のこともよくわからず、名前を言って「Kちゃん。」と言っても曖昧に笑うだけでした。

昨年7月、夫である祖父が急逝する直前のお見舞いの時に

「Kちゃん!?記憶と随分違うー」と言って笑ってくれ嬉しかったのを覚えています。

元気でした。

祖父が亡くなったことは敢えて伝えてません。長寿家系で祖父の母の曾祖母が99歳の大往生だったので、元気に見えた祖父が先に亡くなったのは周囲も本人も予想外だったと思います。

毎週祖父がお見舞いに行っていたのはきっと祖母にとって大きな生きる糧となっていたと思います。

やっぱり、父が行くよりも嬉しそうな顔をしていたと聞いてます。


2月の末頃、父からの連絡で

「寝たきり状態の段階に入った。表情はあるものの話しかけても殆ど言葉がなくなった。

私の子供の頃の二人が写った写真を見せても関心を示さない。

誤嚥を避けるため、栄養は脚からの点滴栄養剤。

体力は徐々に落ちて行くと思われる。

いつ不測の事態になってもおかしくない。



医者には「延命措置はしない」とお願いしている。

体のどこかに痛みが有るわけでは“なさそう”なのが、救い。


爺ちゃんの一周忌ころまでが限界かと・・。

爺ちゃんが時期を選んで迎えにきてくれるでしょう。

私はこれから母親と一緒にいたころのことを沢山思い出そうと思う。


貴女は、昨年、ひ孫をつれて見舞いに来てくれたし、十分な事をしてくれたので

私も満足しています。だから、今は、私の母親が私達兄妹にしてくれたように自分の

子供達に愛情を注いで毎日を過ごしてくれることが一番大切な事です。気持ちは十分伝わっています。

私は、出来る限り見舞いにいきます。また様子を伝えます。」



と。メール文章そのまま添付ですがそういった連絡がありました。

正直、どのくらい持つか私にはわかりませんでした。

口から食べられなくなった時点で早いのではないかと思いましたが。。

2月3月忙しくしていたので、その中で会いにいくという選択肢をとりませんでした。

そんな中の連絡でした。


子供たちは連れて行かず、、本当なら上の子はひいおばあちゃんを認識していたので連れて行きたかったのですが兄妹バラバラにはしたくなかったので、、私だけ向かう決断に。


12日通夜、13日葬儀でした。


そこで知ったのですが、2月に入って祖母の尿路関係、肝機能の数値が良くないということでMRI検査をしていたのだそうです。

そこでは異常はなく、CTの方?で肝臓に腫瘍が見つかったのだそうです。

恐らく、進行した癌だと。

祖母が痛みや苦しみを訴えてこない、延命はしないという方針だったのでそのまま見守ることになったそうです。

最後まで特に苦しいとか言わなかったそうです。

12月末に兄が会った時も、変わりなかったそうです。

数値に異常が見つかったあと徐々に悪くなっていたようです。


ただ・・・


近くに住んでる叔母は2、3日に1回、父は週1のペースでのお見舞いをしていたのですが

3月半ばより北海道?室蘭?ではノロが大流行、そういった老人施設では軒並み面会謝絶になっていたのだそうです。。

父が最後に祖母に会ったのは、、3月半ばだったそうです。。

そのあとすぐ父は関西に来ており、その際うちの子供たちと食事をしています。

その時特に祖母が悪い状態だとは聞いていません。

叔母はずっと面会謝絶が解除になるのを待っていたそうです。

明確ではないのですが、たしかそれも叶わず、危篤の連絡を受けて行くまでしばらく会えてなかったとか。

それが9日の17時半頃。

その時には・・祖母の身体はちょっと冷たくて・・恐らく、医療の力で叔母が来るまで持たせていたのだと思う、と言ってました。

18時ちょっと前に、叔母に見守られ亡くなりました。



祖父が盲腸になった次の週に祖母も盲腸になっていたくらい仲良しだった夫婦なので、

今頃祖父と嬉しい再会をしているのだろうと思うので、、

兄弟姉妹祖母いれて7名でしたが、祖母が最後だったそうで。

そしてもう長いこと病院で、「いつか」を少しだけ覚悟していたということもあるので

急だった祖父の時よりは、、まだ、、悲しさはマシかなぁと思います。

祖母が元気だったら違ったと思いますが・・それでも祖父が呼んだんだろうなって思ったかもしれないです。

認知症が進んでのことじゃなかったのでそれも予想外でした。

ノロではなかったのは確認済だそうです。

祖母の認知症は、発症してしばらくしてから小脳梗塞になり、

「頭いたい・・」と言って祖父が慌てて病院に連れて行ったあとから進んだと聞いてます。

デイサービスに通うこともありましたが基本的に自宅で、自分が看る、と言っていた祖父もさすがに7年くらいして体力も精神面も限界で、施設に入れることに同意したと聞いてます。


生真面目だった祖父と、寛容で大らかで優しかった祖母。

続いて亡くしたのはさみしいです。


恒例?の不思議話

3月20日のこと。

夕食の時、祖父の話をしてました。

長男が特に、お空に行ったの?生まれた所(青森)に帰ったの?おうち(登別)に帰ってるの?と興味津々で聞いてきました。

すると夫が私の背後を見て「あ。」

私の背後のふすまがすーっと15cmほど開いたんだそうです。

確かに食事前にぴったりと閉めていたはずが、開いてました。

夫はそういう嘘を言う人ではないので本当なのだと思うけれど。。見逃したのが少し残念です。


という記事をSNSに書いたところ、叔母が「今日お彼岸のお墓参りに行ってきたよ」とコメント。

その話を通夜の日にしていたら、父が実は・・と、そのちょっと前のお墓参りで

「そろそろばあちゃんを連れてってくれ」

と頼んだのだとか。


また、13日の葬儀の日は偶然夫が有休をとっていたので子供たちの面倒をみてくれていました。

私は12日、上の子のクラスの顔合わせ、役員決めに立ち会い昼の便で帰って、夕方の通夜に参加。

万事なんとか予定を変えずにすすめられたのが不思議でした。

11日のクラス発表によったら13日に顔合わせになるのでこれは参加できないな、と話していて、、

そんな記録でした。


祖父の真面目なところ、祖母の深い愛情をお手本に子育てしたいと思います。