人間が輪廻転生すると言うことは西洋でも東洋でも昔から言われていることです。
ざっくり言うと、同じ魂が肉体の期限(寿命)を越えて生きる為に、いろいろな経験を積んで学び、進歩向上する為に等、
人としてどんどん新しい(後の)時代に生まれて生きて行くワケですね(^-^)
その際に必ず前の世と同じ国に生まれて来るとは限らないそうです
そして肌の色が人間の進化する過程で現れた自然の摂理であるように、
およそ人間というものは、
霊が先で、身体の方が後について来るのが自然の摂理のようです。
さらに言うと元々の人間の魂は、神の分け御魂と呼ばれるぐらいに霊性が高かったそうですが、時代が降るに従い魂の汚れが溜まり、それに連れて霊性も下がっているとのこと
そして人が亡くなる際に、身を清めて白装束を身に付けるのが昔の日本の習わしですが、この白装束は霊界に行った際に、その人の魂の汚れ具合いにより白から次第に色が付いて行くとか…
当然のことながら、
魂の汚れの少ない者は白装束の色も白に近く、
魂の汚れの多い者ほど白装束は別の色に変わってしまうのだとか
そして魂の汚れの少ない者は、魂が内側から輝いているとも聞きます(^-^)
そう言った事を知ると先日の記事でたとえ話に出した、ランプのほやのたとえ話に思いが至ります。
魂の汚れが少ない人ほどほや(肉体)の汚れも少ないので、内側から光が通り易い分だけ、色も薄い(白い)と考えることも出来るのかなあと
魂の汚れが少ない=身魂を磨けている
人生においての修行が出来ている(^-^)
生きる上で過ちを犯さないとか、たとえ過ちを犯しても、きちんと自省して改めることが出来ている
世の為とか誰かの為に、善い行いを重ねている
忠言を真摯に受け止めて改める、謙虚さと勇気がある
下心を隠して人に近づき、他の誰かを誑かしたりしない
等と言った感じの人は、
霊性が高い=奇特な人である
と思っています(^-^)
そう言った前提が合っているのなら、
白斑の人は、霊性の高い人
とは考えられないでしょうかね(^-^)