1972年(昭和47年)から1983年(昭和58年)にかけて夕方6時
台にNHK少年ドラマシリーズが放送されていた頃、アメリカでは「大草原
の小さな家」というドラマが大ヒットし、なんで少年ドラマシリーズでああ
いう作品ができないんだ?という意見が寄せられ、それで1980年(昭和
55年)、1981年(昭和56年)に学校の春休み、冬休みの期間に「家
族天気図」が放送されたわけです。

しかし、あれだけ当時の少年・少女を熱中させた同シリーズがなぜ終わった
のか?
その問いに明確に答えるのは難しい。しかし、推測すると「親が子供に観せ
たい番組」から「子供が観たい番組」に脱皮して成功した同シリーズは同じ
論理で終焉を迎えたのだ、と。
子供が観たい等身大のおもしろい人間ドラマだった少年ドラマシリーズがそ
うではなくなった。
では子供たちは何を観たがるようになったか?それはもっと身近な情報にな
ったと思う。
少年ドラマシリーズのレギュラー放送が終わる直前の1977年(昭和52年)
に「こどもニュース」、1982年(昭和57年)に「こちら600情報部」
が始まったのを見ても、それを示唆していると思います。




「こちら600情報部」最後の放送で、司会の田畑さんが「放送番組という
のは我々が作るのではなくて、視聴者が作って育てていくものだ。」と、お
別れとお礼の挨拶を述べていたのが印象的でした。