主人が旅立った日のこと

皆様に
きちんとお話できて
いなかったこと

とても申し訳なく

いつかお話しなければ
と、思っておりました。


今日は
その日のお話と
ご挨拶とご報告を
させて頂きたく
よろしくお願い申し上げます。



主人の望みである

「野球人として生きた自分
だから、シーズン中の今は

球界の皆様にも
野球に関連するお仕事に
携わる皆様にも
ご迷惑をかけたくない」

という思いを汲み


葬儀に関しても
コロナ禍でもありますし

主人の体調の急激な悪化
により、私たち家族も
どんどん変わるその展開に
なかなか付いていけず
心と体の疲労がありました
ことから

家族のみで静かに
見送ってあげたい

と、これは
私と息子の望みでもあり

ごく近い親族のみの葬儀と
させて頂きました。


そして
葬儀を無事終えてからの
公表とさせて頂きました。


ご報告が遅くなりましたこと
読者の皆様、球界の皆様
報道の皆様、生前主人が
お世話になりました全ての皆様に
心よりお詫び申し上げます。


そして、改めまして


これまで大島康徳を
お支え下さった皆様に

応援して下さった皆様に

愛して下さった皆様に

心よりお礼申し上げます。

ありがとうございました。




あの日のこと…

実は、主人は
病院に入院していました。

大学病院ではなく
緩和ケア病棟(ホスピス)
でした。


大学病院を退院し
家で数日間を過ごしましたが

訪問診療をして頂いた時
体調の悪化が確認され
お医者様と相談をし

緩和ケア病棟にお世話になる
ことを決めました。


その後は安定していたので
このまま、病院で面会したり
夜は泊まり込んだりしながら
穏やかな日々を過ごせるのでは
ないかと思っていたのですが

入院3日目の朝5時頃
「呼吸に変化が出始めました。
すぐに来て下さい」と
病院から連絡がありました。


病室に入ると
主人は寝ていました。

酸素マスクは
着けていましたが

しっかり呼吸をして
苦しそうな様子もなく
まるで夢を見て寝ているか
のような表情で
静かに寝ていました。


だから、私たちも
主人の手を握り
静かに、穏やかに、笑顔で
ずっと主人に
話しかけていました。


…二時間半くらい
経ったでしょうか


そこから
段々と呼吸が
ゆっくりになり

そのまま
静かに
本当に静かに
眠るように
旅立ちました



見送る私たちを
最後まで笑顔で
いさせてくるるなんて…


なんて
強くて優しくて

なんて見事な
旅立ち方なのでしょう。


天命を見事に全うする
そのとても尊い瞬間を


私と息子に
身をもって見せてくれた

私たちはそう思っています。



パパ、ありがとう。

私たちは
あなたの家族になれて
幸せでした。


三人で力を合わせて

あなたが作ってくれた
「この道」の続きを
しっかり歩いて行こうと
思います。


二人は、もう
再会しましたか


こうして
抱きしめ合っていますか




主人が旅立ってから
今日まで

こうして私が
主人のブログに
言葉を綴って参りましたが

このブログは
主人の大切なブログです。

これ以上、私が
書いてもいいものなのか
悩んで参りましたが

やはり、いけないと…
 
主人のブログは
主人の言葉であるべきで
私の言葉をこれ以上
重ねてはいけない、と

もうここで完結すべき
と、結論を出しました。

 
ですが

まだまだお伝えしたい
主人の言葉も
私たち夫婦のガンという病気や
緩和ケアについての思い等も
ございます。

そして、ありがたいことに
祭と私を応援して下さった
読者さんもいらっしゃいます。

主人が繋いでくれた
このご縁を大切にしたい
という強い思いもございます。

皆様、優しいお言葉を
たくさんいただきまして
ありがとうございました。


どうしたらいいのか
その方法について、今
アメブロ担当者さんと
ご相談をし、準備をしている
ところです。

詳しいことが決まりましたら
また皆様にご報告させて
頂きますので、もうしばらく
お時間をいただきたく存じます。

どうぞよろしく
お願い申し上げます。



大島康徳 内