患者さんから京都の書家の展覧会の切符を頂いた。たまたま午後から予定が空いていたので、2/19に京都大丸ミュージアムに出かけた。久々の書展は、いつぞやの毎日展以来か。

 アルファベットやハングルが表音文字なのに対して、漢字はご存知のように表意文字であり、文字そのものが意味を持つ。これが書の原点だと思う。

 例えば「優」という字を自分はどのように優しく書けるだろうか、と問うてみると、具体化するのはなかなか難しいことがわかる。

 

 それが単語、文節、文、文章、俳句、などとなってくると、表現の仕方はまさに無限大と言える。それに加えて、紙と墨の空間が作り出すアート的な側面を考えると、本当に難しい。

 

 家内と変体仮名の連綿を解読したりもして、楽しいひとときを過ごすことができた。

 

 さて外に出て、美術部の方へ行くと、「巨匠展」なるものがあった。入口にある絵に「不矩」なる文字が。

 

え?秋野不矩の本物?

 

 中に入ると、小倉遊亀、堂本印象、千住博、山下清、棟方志功らの原画(棟方は版画)が売られているではないか。普通、美術館でガラス越しにしか見られないものを、至近距離で直接見られる。しかも値段がついている。こんなことが、、、ちょっと、いやかなり興奮。

 

 何度も何度も巡回してじっくり見て、そして出ると、隣は工芸展。とりあえず見てみようと中に入る。

 

 それでさらに興奮!

 

 入ってすぐに、高村光雲の彫刻(小さいが)、十四代柿右衛門本人の作品群、北大路魯山人、河井寛次郎の陶芸。

 

 それらをガラス越しではなく、至近で見られる幸せ。私が興味深く眺めていたので、ギャラリーの方がいろいろ説明をして下さった。魯山人の器の箱をわざわざとってきてくれたのだが、その箱書きは直筆とのこと。昔、確か国立博物館、いや近代美術館だったか、で魯山人展を見たのだが、それをこうして生で触れられるのは、すごい体験だった。そしてそれらを右に進むと、今度はエミールガレの作品群。

 

 今度は違う係の方が、ガレの鑑賞の仕方を教えて下さった。器の下から、背後から、いろんな角度で光を当てると、ガラスの模様や色が変化する様は、まさに芸術。ジャポニズムの最中、作品のモチーフが桜だったりするのもとても良い。そして「ちょっと触ってみてください」と言われ「え??いいんですか?」と表面の凹凸に触れてみる。柄が幾重にも層を成しているのがわかる。ガレに触れる機会があろうとは!

 

 普通は美術館でガラス越しにしか見ることができない作品群を、こうして間近で見て、触れて、こんな機会は一生のうちにほぼないだろう。きっといつまでも忘れられない1日になるに違いない。学校の美術の先生が治療に来られてその話をしたら、めっちゃくちゃ羨ましがっておられた。それほど異常な1日。