本当に恥ずかしい話しをするようだけども、ぶっちゃけ私は多分お受験に関してはものすごい回り道をしてると思う。一生懸命やったと思うけど、今になって初めて、お受験の真髄、子供の教育の真髄ってこれかなと思える言葉に行きあたった。「家庭教育」という言葉が、教育界で頻繁に利用されるが、結局家庭教育で、なにを教えるのか?ということについてはあまり語られていない。家庭教育という言葉を多用して、なにを教えればいいか分からない状態になっているのに、家庭にその責任を押し付けている学校施設や生涯教育を謳う教育機関は山ほどあると思う。

 突然話しは転ずるが、息子の日本語への習得熱が凄くて、ちょっと嬉しい。ピアノのCDとかで、「表面的な模倣に陥らないように注意して演奏しましょう。」という言葉とかあると、「表面的な魔法におち、、おちい、陥らないように注意して、演奏しましょう。って、どう言うこと?」とかって聞いてきたりして、微妙な間違いがかわいかったりして。娘はホントに日本語に興味が無くて、英語のほうがあってたんじゃなかろうかというくらいで、小学校上がってからの苦労の連続だったけど、息子はホントに日本語寄りで、それはそれで嬉しい。ただ物凄い強い左利きなので、そこが日本社会に合ってないと思う。バトルもしたけど、本人はもう指図に関係なくやっちゃうので、どうしょうもない。ただ受験となるとこういうちょっとうちの子結構「出来る!感」が邪魔になって、苦手分野が見えなくなるので本当に気を引き締めないと基礎が抜けることになる。結局、どの受験も、大事なのは、飛びぬけて出来る「何か」があることよりも、コンスタントに点数を取って行けるものが沢山あることのほうが望ましい。そして、その上で、飛びぬけて出来る何か!が利いて来る事になる。
基礎が抜けると言うことはまさに表面的な模倣に陥ると言うことなのだと思う。


 話しは元に戻ることになるが、うちの小学校の方針にも匠に隠されてしまっているし、巷では、当然なのかもしれないけれど、まず、一番重要な事を言おうと思う。


”正しい生活が出来るようになる。”


日本のお受験で、大切なのはなにをも差し置いてもまず、”正しい生活が出来るようになる。”このただ一点なのだ。私はまんまと受験のトリックに陥っていたと言える。”才能の豪華一点主義”をよしとしていた点があったということだ。勉強はできないといけない。しかし、勉強、の前にまず”正しい生活”が出来るようにならないといけないということが、事の真髄なんだと思う。特に娘の通っている私立においては、”日本的な正しい生活”を送ると言うことが、一番の原点になっているらしいことに、気付かされた。もともとその差について、分かってはいて、注意もしていたけれども、何せ今まで過ごしたインターでは優先順位が全く違っている。娘の小学校では、日本的な正しい生活を送ると言うことが最重要項目であるということが、私は全く分かっていなかった。

(いいわけすると、インターでは、正しい生活を送ることはそこまで重要視されない。よくよく考えるとつながってくるんだけど、うちのインターはたまたま給食が素晴らしく良かったので、気付かなかったんだけど、実際の向こうの食生活なんかを思い起こしてもらうと、ジェイミーオリバーが、つい最近給食革命!なんてのをやって画期的だ!!と騒がれるほどに、海外では、正しい食生活なんかには全く重点が置かれていない。なので、こういっちゃ失礼な気もするが、本来はなんとなく、ちゃんとした物(何か食べられるもの)を食べていればいいというレベルの思想なのだ。特別に意識の高い系の人が、オーガニックやら、バランスやら、ヴィーガンだったりするだけで、普通の人は本当に関心が無い人も平然といるし、それが許される。正直インターでの幼稚園生活は個人的にはものすごい”快適”だ。 個性が大切にされるアメリカやらなんやらでは、家庭は個人の領域に含まれる。幼稚園での生活は個人の判断の領域なので、そこでの生活や、行動について、幼稚園側が口出しすることはほとんど無い。それがどう言うことかというと、行事に参加する、しない、懇親会、参観日に参加するしない、時間通りにくる、来ないなんかも、食べ物はベジタブルオンリー、宗教上の問題で、こんなことやらない!うちの国では、卒業の時に記念品を贈るなんて習わしないから、一緒にお金出して買ったりなんてしたくない。個人であげればいいじゃん!とかなんで日本人は寒いのに制服着ないといけないの?こっちの服のほうがいいじゃん!と思いっきり制服以外のアウターを着てくるとか、今日は洗濯物が乾いてないから、普通のTシャツで来たわ~とか、言うことまで全て個人の考え方によるので、大きく迷惑をかけない限り個人でどんな生活を送っていても特に構われないし、幼稚園側も何かあった時に本当にかなり柔軟に対応出来る。こんな生活環境だったので、自分も正直ずれずれの中、がんばって、学校の規則に合わせているという状態だったので、”日本的な正しい生活を送る”ということについて認識も甘かったし、優先順位もそう高く無かったと言える。)

 さて、今の学校を目指す過程で、色々なお受験本に出会ったけれど、お受験では、まず、躾けということろに目を向けたり、”問題”行動を正すという点に置いて解説されたり、子供が思い通りに動かないことやら、癇癪についてやら、親子関係について、お友達との協力行動等様々な観点から、行動を見られる。また、ペーパーテストに置いては分野もすそ野が広く、項目だけで、250~300位の要素がありそれぞれの基礎、発展、応用問題を身につけさせなければいけない。

 いまでは動的という所に集約しているかもしれないが、行動観察という試験項目と、より、我が子を他人の子供よりも光らせる為に、躾けの中でも、特にマナー(他人に不快感を与えない為の行動)や、人前での子供の行動について母親たちは躍起になる結果となる。子供を怒ることに夢中になって、つい人前でも怒ってしまい、そっちの声の方が下品だったり、うるさい人なんてのも山のようにる。私もその一人だし、それくらいしないと求められる上品さも、行動を抑制する意志も、それらが、求められる受験時期に標準を合わせて身につけることなんてできない。特に我が子なんかは、早生まれだったので、ゆうゆうとした育児では全く追いつかない。発達段階の幼児の頭は、動物の犬と同じくらいのレベルだというのは、犬が平均して、人間の3歳児位の頭があるという言葉を裏返せば納得できると思う。犬と全く同じではないが、やはり動物に行動を分からせるには、分かりやすく、叱るときには叱る、褒める時には褒めるという行動が、常に一致していないといけないし、嫌な体験(怖い体験)や嬉しい体験(快い体験)が、子供にとって分かりやすく(心に響か)ないと無意味だと思っている。


”正しい生活が出来る”という根元の部分が分からずに、完ぺきにそれらを子供に叩き込むのは、至難の業だ。誤解を恐れずに言うが、お受験ママの大半がどう言うことになっているかというと、幹を教えずに、葉ばかり、枝ばかりを教えているという場合がある。その結果、幹ではなく枝が太っていくので、庭木の低木の様な子供たちが出来上がることになる。なんとなく幹を分かってはいるのだが本当にこれが一番重要なんだという幹が分からない親というのも未だにたくさんいるし、予備軍も多いと思う。お受験本として、絶賛大ヒットしている本に多いが、生活や、行動の中で、いかに”上品” ”品位”等を醸し出せる事を念頭に入れる親も居ると思うし、当然のごとく幹をそこをクリアして、高みに昇っているご家庭もおありだろう。しかし、私のように幹が分からずに、右往左往して、上品と書かれた葉っぱばかり子供に教える親も居ると思う。

正しい生活ということの重要性をメインに話しを進めてきたが、それでは、正しい生活というのはどう言うことか?というと、結局それは、日本独自の躾け教育というものになってきて、昨今溢れる、躾け本等を参考するということになるのであろうが、私が思う正しい生活というのは、日本では守られて当然である事なので、躾け本にも書いていないし、どこの学校でももちろん言われている事だ。しかし、大切なことなので、書いて確かめておきたい。あ、そんなことか、と思うようなことだが、お受験をする場合は、一部、もっと高い水準でこういったことが求められていると思った方がいいということはお伝えしておこうと思う。

さて、日本的な正しい生活とはなんぞや。
そして、常識とはなんぞや。

正直な話し、ここからは、私も分からないし、子供、常識と入れると、ネットでは驚くほど、非常識の例がわんさか出てくる。私はゆとり世代の走りな上に親はどちらかというと、非常識の部類に入りまくるので、一般的な常識を親からほとんど教わっていない。更にインターなので、日本の常識が本当に分からない。こんな私の分かる範囲、思いつく範囲小学校で実際に求められている事等を参考までに書くので実際にはまた各々で模索してほしい。

忘れ物をしない(本当に一度でも忘れたら、評価がダダ下がると思った方がいい位)
時間を守る。(子供の場合は朝は20分前行動)
ホウレンソウ。
入念に素早く準備をする。
バランスの良い食事をする。(何時?と、量と、食べきる時間と栄養バランス等・食育)
早寝早起きをする。
適度な運動をする。
身の回りを清潔にする。(身だしなみ・ハンカチ・ティッシュ)
雨が降った時の対処のために傘は2本準備。
整理整頓。
挨拶をする。
話しをきちんと聞く。(耳鼻科に行ってチェックする)
自分の伝えたいことが明確に言える。(言葉だけの問題ではなく、正しい発音が出来ているか。舌の問題があれば手術で直すレベル)
キッズ携帯の取り扱い(持っているだけで連絡等は取ってはいけないということを遵守しなければいけないので、3DSやら、その他ゲーム機等を全く与えない教育もありだが、むしろそういった子供が心揺さぶられるものを日常で我慢したり、ルールを決めて守るということが出来るように訓練しておくのは良いかもしれない。)
電車・バス・路上でのマナー(守られていないと小学生の制服はみんなが認識しているので、大体通報される。)


自分の事は自分一人で出来るようにする自立心
他人の言葉を受け入れて、きちんと行動を正す事が出来る
何かやったことのないことを求められたときに動じない、
もしくは、水準以上の望ましい行動がとれる
お友達と協力して行動する。
先生のお話しが聞ける

上記にあげた”生活”的な行動から、自分で自立してそれらをこなせるという行動観察になり、その後の内申や、決められたルールを守る、空気を読む、敬語を使う、等という所におおざっぱだが発展していくと言えるのではないだろうか。一番大切なのは、多分上の方にあげているようなことが、優先順位が高いのではないかと思うが、びしっと三原則というようなまとめが出来るともっと分かりやすいのになー、と思う。誰か教えて。