日本経済新聞の記事、北川和徳編集委員。

 

 

日本にはびこる「なにかあったらどうすんだ症候群」

 

元陸上選手の為末大氏が先日、SNS(交流サイト)で私たちの国は「なにかあったらどうすんだ症候群」にかかっている、と発信していた。それは社会に安定と秩序をもたらすが、副作用として停滞を生み、個人の可能性を抑制するという。

この症候群は、未来を予測してコントロールできるものと考え、その逆算でしか物事を判断できない。だが、実際には予想しないことが必ず起きる。それをイノベーションという国もあるが、この国では「危ない」や「予想外」となる。ここから抜け出るためには「やってみよう、やってみなけりゃわからない」を、社会の合言葉にしなければ――。

日本がこの30年間で陥った停滞の理由が説明できる。とても納得した。

私なりに解釈すれば、変化を恐れ、安定と現状維持を無意識に優先する雰囲気が、社会の意思を決定しているということだろう。その結果、世界の変化に追いつけず、社会の劣化が進んでいる。デジタル技術でイノベーションとか生産性の向上とか力んでも、これでは絵空事で終わるしかない。

為末氏はそこまで指摘していないが、この症候群の中心は私自身も属する50歳以上の人たちだろう。日本には1980年代まで世界がうらやむ経済的な成功を収めた時代があった。

それを守ろうとする世代の意識が、その子供や孫の代にまで浸透しつつあるとしたら事態は深刻だ。終戦後のどん底から、失うものはなにもないと果敢なチャレンジを続けてこの国を再生した先人たちの存在を思い起こしたい。

無謀な試みを奨励しているわけではない。未来は予測もコントロールもできないと覚悟する。その上で、リスクを正しく認識して最小限に抑える備えを怠らず、物事の優先順位を考えて行動することが重要なのだと思う。今なら昔よりずっと効率的にそれを実行できるはずだ。

そんなことを考えながら大リーグの中継を見ていて面白いことに気がついた。正反対のことが当たり前のように行われている。

故障を回避するため投手は約100球で交代、主力選手もよく欠場する。一方、守備では無謀にも見える極端なシフトを敷く。どちらもその背景にあるのは最新のデータ分析や医科学の進化。そして選手生命とゲームの勝敗の優先順位。価値を最大化するためのリスク管理といえるだろう。

今のこの国に欠けているものではないか。スポーツだからできるという意見もあるだろうが、スポーツから学べることはたくさんある、とあらためて感じた。

(編集委員 北川和徳)

 

 

半分は納得できる。最初の半分は「安全神話は危険

これを読んで思い出したのは、畑村洋太郎先生の名著『未曾有と想定外』。この国は多くの震災被害を受け、この記事にもあるとおり「危ない」とか「予定外」を想定しすぎて、安全に寄りすぎている。堺屋太一氏が、日本の新幹線が数分遅れの遅延を事件扱いとすることを例えて、あまりにも安全に寄りすぎると反作用が生じる可能性があると言われていた。例えば福知山線脱線事故がそれだ。

 

 

もうひとつの半分は、「政治の安定は危険

このことはこのブログでも散々嫌味を書いてきたので、もうその気力も残されていないが、政治が安定して良かったことなど何もない。いいのは世間を黙らせて安定させた側だけだ。国民のほとんどは政治が安定していることの果実を受けることができずにいる。むしろもっと酷い状態が目の前にある。

 

 

妄信的に「国葬」を支持する国民は、反社会的宗教団体に支援してもらった政治家たちに操られている。この記事とは主旨が異なるかもしれないが、安定や安全の先には大きな反作用が顕在しているということだ。

 

あなたは戦争犯罪人ですか?

 

 

 

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