70年目の8月6日。

当時と同じく今日も暑く、空は晴れ渡っています。


70年を昔と見るか最近と見るかは、

個人によって違うのでしょうね。


えこは最近のことのように思っています。


惨事に対する姿勢は、

大きく分けて2種類に分かれます。


目を見開く人と背ける人。


現在では「グロイ」というだけで、

子供に原爆の画像や動画を見せないと聞きます。


元々日本では「死体を見せない」風潮がありますが、

本当にそれで良いのでしょうか。


「死人に口無し」とは言いますが、

死体ほど無言で強いメッセージを放つものは他に見当たりません。


「グロ」の向こう側にある戦争当事者の罪。



小学校で原爆の動画を見せられて、

娘がPTSDになったと慰謝料を請求する親たち。


原爆被災者から当時の話を聞かされ、

子供がショックを受けたと息巻く親たち。



被ばくした人たちが、どれだけのPTSDを抱え、

重い口を開いているのか。



理解しているのでしょうか。



親兄弟の壮絶な死を呼び起こすとしても、

それでも伝えなければと重い口を開いてくれていることを。


えこもたくさんの語り部さんからお話しを伺いました。


話慣れてるから流暢に・・・というものではありません。



多分、生涯慣れることは無いのでしょう。


きっと同じ話を何度もしているに違いないのに、

親族のくだりになると必ず涙を零します。



そうした個人の辛さよりも、

戦争の無情さを多くの人に伝えることに重きを置いて、

一生懸命、話してくれているのです。



現在、被爆者の平均年齢は80歳を超えたと言われています。



この歳になるまで固く口を閉ざしていた人が、

思い立ったように当時の惨状を口にしてくれています。


何十年もPTSDを抱えて生きてきた辛さ。

もちろん国やアメリカからの保障は一切ありません。



爆心地に近い遺体は、

目を見開いていたと聞きます。


ウィキによると、

当時の広島市内には約34万人がいて、

爆心地から1.2kmの範囲では当日中に50%の人が死亡し、

同年12月末までに更に14万人が死亡したとされています。


そこら中に転がる炭化した死体。

防水槽に浸かり乳飲み子を抱えたまま死んでいる母親。

流れる死体で埋め尽くされた川の水を飲む焼けただれた人々。


こうした死体の中に、

戦争を良しとするものが一人として居るでしょうか。


繰り返さないで欲しいと願ってしきりではないでしょうか。



戦死者の動画や画像はグロですか?



死体は今を生きる語り部と、

何ら一つ変わりないと思っています。



聞こえてきませんか?

彼らの叫び声が。