戦後最大とされる大量殺人事件。
今回現場が障害者施設ということで
被害者については匿名報道となっている。
普段ならば今頃「被害者はこんな人でしたあ」
などという二次被害が多発している時期だ。
悲しみにくれる遺族に突き付けられるマイク。
今回そういう不快極まりない映像がないのは
せめてもの救い。
まあ速攻チャンネルを替えてるので
見てないだけかもしれないが。
新聞記者が
「匿名発表だと、被害者の人となりや人生を関係者に取材して事件の重さを伝えようという記者の試みが難しくなります。」
とtweetして炎上している。
被害者の人となりや人生を取材しなくても
事件の重さは結果の重大さだけで充分過ぎるほど伝わる。
記者の試みとは被害者遺族を踏みにじってでも
なされるべきものなのか。
そもそも普段は警察が被害者については非公表としても
それに従わず勝手に発表するメディアもある。
記憶に新しいのは海外でのテロ被害だし
国内でもバスの事故等についても
進んでプライバシーを丸裸にしてもらいたい被害者なんていたのか。
「被害者AさんとBさんは結婚を約束していて幸せの絶頂でしたああ」(実際にはAもBも実名)
とか友人知人にも発表していなかったような情報を
世間に晒すことに何の意味があるのか。
だが今回は「障害者施設だから」ということで非公表に大人しく従うのならば
そこには差別意識があることを告白してるも同然だ。
そもそも障害者と健常者とはどこで線引きがなされるのか。
ある意味私も障害者に片足突っ込んでいるようだが
配慮してもらえる身分を与えられたのだろうか。
そう考えれば悪いことばかりでもないと言えるのだが。
障害者も健常者も本来関係ない。
平等に匿名報道とすればいい。
健常者ならば被害者遺族を踏みにじっていいと言うものでは当然ないはずだ。
今回がきっかけで被害者については匿名報道が当然という流れになれば
悲惨極まりない事件でも後々振り返った際に転換点になったのだと
そこには意味を見つけられるのかもしれない。
もちろん進んで「是非公表したい」と希望する遺族がいるなら今後も出せばいい。