こんばんは!
車いす女子のファッションアドバイザー/理学療法士の岡野菜摘です。
先ほどまで山形にいました。どどんっ。
今年の3月11日は、山形で。3.11の前日に大学の卒業式が行われた私達。
リハビリを通して、障がいのある子ども達の“できた!”を創りたいなと思い、障がい児施設への就職が決まっていた頃でした。
3.11後は、輪番停電と全く動かない電車。
田舎なのになかなか手に入らないガソリン。
卒業旅行どころではなくなり、近所の体育館で支援物資の梱包を手伝う日々。
ちょうどアダプティブワールドで、FBやtwitterを使って個人が発信することの面白さや大切さを学んでいた時期でもあり、メンバーで集まり、小さなスペースで出来る運動を考えて、twitterで発信していました。
それが6年前。
たくさんの方々の死と、自身にぽんと与えられた不便な日常、世界中からの祈りやエール。
社会に出る直前に、生き方について問われ、自分の価値観や軸の見直しを求められ、
どう生きていきたいんだろう?と考えながら、最後の春休みが終わりました。
あれから6年。
2017年の3月11日、嚥下機能障がいがある友達が寿司やら肉やら食べている姿を見ながら、幸せだなって思っていました。
そして今日はラーメンを、これまた一緒に楽しく食べました。
麺って!!ちょ!!!とも思う。
実際ヒヤッとしない訳ではない。
障がい児施設にいた時は、汁にはとろみがついていて、麺はソフト麺みたいに柔らかく、1口量に切って、汁と麺を分けて食事介助をしていました。
(当たり前か)
今日は、ずず〜っとすすってた。
長い麺を、辛味噌つけて、もちろん長いまま、汁もそのままで。
ラーメンは、啜るからラーメンや!!!
と幸せそうに食べてた。
命を守るのが医療の仕事かもしれません。
が、軸を持って生きている人の、その軸を折るという行為を、医療はしばしばします。
命には替えられないから、リスクだから、長生きするにはこうするべきだ、と。
私たちは、自分やその周りの人たちが死んだり、自身がケガをしたり、そんなことが無い限り、自分たちの生き方について深く考えるきっかけが少ない。
でも、障がい・難病、とかいうものを持っている人達は、毎日自分たちの命や生き方について問われ、考えている。
深みが違う。
それをポキっと折ってしまう、この行為を医療がする訳にはいかないんじゃないかな。
個の生き方を、一緒に楽しんで、サポートできる、そんな個であり医療従事者でありたいです。
限りある命だからこそです。
私にとって、それが命を大切にするってことです。
…アホみたいな幸せそうな顔してラーメン食べている姿をみて、そんな事を考えていました。笑
そして、当事者の人たちは、やりたいことを、こいつは見方になってくれそうだぞ?みたいな人に言ってみるといい。
言わなきゃ始まらない。
どうしたら出来るか、は、みんなで知恵を集めれば出てくるから。
ただ、それを取捨選択し、最終決定するのは、個人の責任。
生きるということは、誰かにおんぶしてもらうことではないから。
自分で決めて、みんなにサポートしてもらい、自分が1番目一杯楽しむ^^
仲間はいっぱいいる、どこかに必ずいる。
P.S.
楽しみ〜♡とか言いながら、ビビってハイムリック法を復習したのはここだけの話。笑