最初の登壇者は、
日本ホリスティック医学協会会長、
帯津三敬病院、名誉院長の帯津良一先生。
ふっくらされていて可愛らしい雰囲気の先生でした
ホリスティックという言葉の定義から。
「ホリスティックとは」
全体は部分の総和ではない。
全体、それ自身としての原理的考察が必要である
という考え方です。
木を見て森を見ず、ではいけないということですね。
あらゆるものは、「場」をもっていて
我々は「場」の中の存在である
生命エネルギーが「場」を作り、「場」は階層をなす
階層の上の「場」は下の「場」を超えて、含む
「場」を部分的にみらず、
人間を丸ごとを一つの集合体を超えた存在としてみる必要がある。
医者は哲学を持たねばならない
思想としての医学概論は、
医療の位置付けを
「儚い無価値の存在としての人間同士が
互いに寄り添うための行為」
としている。
今の医療にはこの、
寄り添うという気持ち、温もりが欠けている。
誰もが、生ある限り、例え病の中にあろうとも
人間としての尊厳を保ち続けることをサポートするのが、本来の「医療」である
医療は、悲しみの哲学とも言える。
生きることの根底には悲しみがあり、生きることには悲しみがつきまとう。
悲しみは、結局、相互的な行為でしか癒されない
我々はみな、不完全な、虚空の旅人なのである。
しかし、悲しみもまた豊かさである。
なぜなら、そこには自らの心を犠牲にした他者への限りない想いが存在するからだ。
生きる悲しみは、人を癒す力にもなり得る
治療者と、患者。
この関係性が治療に及ぼす効果を侮ってはならない。
医療は寄り添う事により癒すのが本当。
患者の悲しみを倍加するような関わりを持つ事ではない。
自然治癒力。
それは本来、内なる命のうち「場」に備わった能力である。
「場」があれば、そこに自然治癒力は存在するもの
自然治癒力は他力と自力の統合
その2大要因は「ときめき」と「悲しみ」
そこに悲しみがあるから、ときめきが活きてくる
内なる生命の「場」のダイナミクスが高まると命のエネルギーが、加速する!
生命の躍動が創造的進化をもたらし、時に歓喜をもたらす!
自己実現とは、自己の力で自己を創造すること!
これは、誰でもできる!
この、内的な衝動力が生きる力となり、自然治癒力が高まり、治る力になる!
ときめきのチャンスを絶対に見逃さないように。
初々しい心でチャレンジしよう!
余命6ヶ月からでもときめきは創造できる!
戦術、戦略について。
「場」を制するのは、戦略であり、戦術ではない。
戦術を沢山集めればよいかというと、そんなものではない。
医療の効果を上げるためには、戦術ではない。
いかに戦略を練るか。
代替医療は、患者の表情、声をよく聞き、膝を付き合わせて戦略を練ることを必須とする治療。
そこにマニュアルはない。
こころや命は、
エビデンスでは判断できるものではない!
↑直感をプラスするべき。
エビデンスだけでなく、人間を丸ごと見て、
・歴史の先例にまなび
・平常心に戻って
・高みから一望してひらめきを得て
・不屈の意志をもって遂行しろ
そうすることで、戦略的「直感」は冴える!
病によって脅かされるのは、臓器ではない。
人間の尊厳です。
医療は、生を問う哲学。
だいたい、
医療に科学を持ち込んだのがそもそもの失敗。
人間という「形」で人間丸ごとを捉えることは出来ない。
全体は、現実化されたあり方で捉えられるものではないのだ。
視点を「個物」から「場」に切り替える必要がある。
素粒子から虚空まで。
階層化された場を、全体的に捉え、アプローチする必要がある。
それが、わたしが目指す、「大ホリスティック医療」です!!
帯津先生のお話、心が震えました。
素晴らしかったです(;_;)
治療とか、小手先の戦術にとらわれる前に。
まずは医師の役割。
医療者が持たないといけないマインドについて、深く考えさせられました。
医師も、患者も不完全な、虚空の旅人。
だからこそ寄り添う姿勢、
温もりのある医療が必要という教えは、
本当に素晴らしいと思いました!
いまの医療にかけているもの。
それは、お互いによりそいあい、
寄り添うことにより癒すという、
根本的な認識なんではないでしょうかね。
感動で、泣きそうです!