「優しさ」に明確な定義やカタチはなく
"優しさは想像力“だと思う。



自分が良かれと思って渡した”やさしさ”も
届いた時の相手の気持ちは分からないから、想像する力が必要。



想像するために、自分の引き出しに色んな「やさしさ」を持ってたいと思う。



優しい言葉、優しい声、優しい味、優しい音楽、優しい物語、優しいサポート、優しい励まし、優しい気持ち、、、


これまでの人生で、受け取ってきた「優しさ」



辛かったこと、悔しかったこと、苦しかったこと、本当はして欲しかったこと、して欲しくなかったこと、、、


これまでの経験、学びが育ててくれた「優しさ」



優しさは、奪い合いではないから
優しさの総量は減らない。



安心して(遠慮なく)受け取って良いし
奪われないから、警戒して守りに徹する必要もない。




優しくしてもらうと 
優しい気持ちになれて 
誰かに優しくしたい気持ちになれる




道に咲いてる花をみて 優しい気持ちになれるとき
きっと自分の引き出しには 優しさに溢れてるはず。




誰かから自分へ。自分から誰かへ。
カタチを変えて。場所を変えて優しさは届く。



「優しさとは何か」をわかりきる必要はなくて、いろんな視点でみてみたら


昨日よりも今日、少しだけ”やさしさ”でつながる機会が増えるかもしれない。